大阪農林会館の成り立ちと歴史

施工当時
1930 年(昭和5 年)
三菱商事大阪支店として三菱合資地所部営繕課が設計し、大林組の施工。
三菱財閥は内部に建築の設計部門を持ち、東京丸の内一帯のオフィス開発や、傘下のビルなどを独自に手掛けていた。
後に三菱地所株式会社の社長も務めた藤村朗が設計したこの大阪農林会館も、同時代に建てられたこれらのビル同様に“装飾を控えた合理的な設計思想”や“面積の大きなガラス窓”などの特徴が見られる。
当時の図面も多く現存し、ビル建築の図面が描かれ始めたのは1928 年(昭和3 年)と確認することができる。
戦後でもなお、その存在感を維持!
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戦後
1949 年(昭和24 年)
戦後多くの近代建築はGHQによって接収されたが、幸い大阪支店はまぬがれた。
しかし、財閥解体に伴いビルは売却されることが決まった。
その際、農林水産省の退職者が中心となり当ビルの土地建物の取得を目的に株式会社大阪農林会館を設立し、売買受渡。ビル名称が【大阪農林会館】となる。
当時は農林省資材調整事務所・食糧事務所とい った 戦後の食糧統制を担う事務所が入居していた。 -
昭和後期
1972 年(昭和47 年)頃
戦後の食糧情勢が安定していき、戦後入居していた食糧統制を担う事務所が退去・撤退していくこととなり、賃貸ビルとして運営開始した。
エントランスに飲料の自動販売機・ポストが設置され、1 階には24 時間営業のスーパー・雀荘などが入居していた。現在ほど建築物としての価値は認識されておらず、オリジナルの良さを活かした使われ方ではなかった。 -
平成後半~令和
2000 年(平成12 年)前後~
南船場が人気スポットとしてブームになったことも手伝って、アパレル店舗、ヘアサロンやスタイリッシュなショップが徐々に集り、その存在が広く知られるようになるとともにビルオリジナルの良さを活かした活用に変わってきた。 -
現在
2021 年10 月(令和3 年)
国の登録有形文化財に登録。
外観・インテリア共にディティールにはかつての雰囲気が残っており、廊下の床や天井、木製の手摺や味わいのある店舗看板など、随所にアンティークな魅力があるビルとなっている。